12.20.2011

Japanese book shop in an Arabian country

Japanese book shop in an Arabian country

一日だけだが、カタールから隣国のアラブ首長国連邦のドバイへ行った。アラブ諸国の中では飛び抜けて発展している都市で、地下鉄も走る。
街の全景を眺めてみたくて、高さ823mという世界一高いビルBurj Khalifa (ブルジュ・ハリーファ) へ登ってみた。160階建ての129階にある展望台から見下ろしたドバイの街は、空中に舞う細かい砂の微粒子で、薄っすらと霞んで見える。そして、砂漠のあちこちに、にょきにょきと高層ビルが生え、その間を蜘蛛の糸のような道路が、絡むようにつないでいるのが見える。そんな印象だ。

Dubai, UAE


Dubai, UAE

このビルの足元には、世界最大級のショッピングモールというDubai Mall (ドバイ・モール)がある。ここの一番上のフロアに、日本の紀伊国屋書店が店を構えているのを見つけた。仮に東京23区内にあったとしても大規模店舗といえるくらいの広さだ。そんな大きな店構えなのだが、下層階のショップの賑わいを他所に、店内の人影はまばらだ。そしてここは日本の書店だが、置いてあるのは英語といった他言語の本ばかりだ。日本語の書籍は極めて少なく、駅前の極小区画にある、雑誌と文庫本を置いてあるだけの小さな本屋程度の品揃えしかない。恐らく、来店する日本人は少なく、わずかな人数の駐在員とその家族くらいしかいないのだろう。雑誌の棚の横には、12月15日に入荷予定だった雑誌は遅れております、という日本語の張り紙が出ていた。

Japanese book shop in Dubai Mall

そんな乏しい数の本棚を眺めていると、文庫本で、沢木耕太郎の「旅する力」を見つけた。この本はなんと4冊も置かれていた。何故、日本と遠く離れた中東のこの街に、旅を題材にした本が4冊なのだろう。日本人旅行者がこの書店を訪れることは極めて稀であろう。一体誰が買うのだろう。日本語の本に飢えていたこともあり、興味を引かれて購入してみた。価格はDHS48で、日本の倍近い値段であった。


その本をめくってみる。序章には、旅には2種類あると書かれていて、それは「夢見た旅」と「余儀ない旅」なのだという。それを読んで、そうか、と気がついた。駐在員たちもまた旅人だったのだ。彼らは社命で、この中東の地に来ることを余儀なくされた「旅人」と言えるのではないか。そして、そんなお父さんに付き合わされて、無理やり日本を遠く離れて暮らさざるを得なくなった奥さんや子供さんたちも、やはり余儀なき旅人なのだ。そんな旅人たちは、やはり旅人たる誰かの旅に、何か共感を覚えるのだろうか。
もしかすると辛い思いをしているかもしれない彼らの余儀ない旅が、どうか無事に終わることを祈りたいと思った。

12.02.2011

Landscape of Qatar

Landscape of Doha, QATAR

一度も中東を訪れたことのない皆さんは、アラブ湾に面した小国カタールが、一体どのような場所だと想像するのだろう?
こんなことを言っている私自身が、実は現在滞在している首都ドーハすら十分に周ったことがないので、満足な回答をすることも出来ないのだが、断片的に見かける風景から、驚くほど急速に発展していっていることが分かる。建設途中のビルが街のあちこちに沢山ある。天然ガスといった豊富な地下資源を原資にして都市開発を続けているのであろう。ドーハ市の、そのような風景写真を選んで貼り付けてみる。





次の写真は、私が泊まるホテルの屋上から。それほど現代的でもない建物も並ぶが、都市化されていることは分かって頂けると思う。酷暑の季節は過ぎ、11月終り頃から最高気温も22-23度程度となり、かなり過ごしやすくなってきた。そんな柔らかな季節の夕方の一枚を最後としてみる。



11.07.2011

rain-wet desert country

Because of the desert this is a country of very little rain. But today we are caught in a rain. Winter has come here.

ここは砂漠の国であるため、雨はほとんど降らない。しかし、今日は雨に降られた。早朝、外に出ると、辺り一面が濡れていた。雨の跡だ。空はどんより曇っている。午前中、ボツボツと雨粒が落ちていたが、しばらくするとザアッと雨が降ってきた。意外なほど強い雨がひとしきり降り、やがて上がった。常に砂の細かい粒子が空を舞っていて、どこかぼんやりと霞んで見えるのだが、今は心なしか空気がしっとりとして澄んでいるようにも感じる。この中東の国にも冬がやってきた。冬になると雨が降ることがあるのだという。本日の最高気温は、きっと30度をぐっと下回ったことだろう。



11.04.2011

foreign migrant workers

You will meet many foreign migrant workers in this country.

この国の国民の人口は30万人程度とのことなのだが、実はその4-5倍もの人数の労働者が海外からやって来て働いている。この国は、海外からの出稼ぎ労働者で成り立っていると言ってもいいだろう。

様々な職種で、色々な国籍の人たちが働いてる。聞くところによると、比率では圧倒的にインド・ネパール系、次いでフィリピン系などが多いそうだ。したがって、外国人労働者ばかりとなる工事現場では、アラビア語は一切聞こえず、飛び交っているのはヒンディ語(インド系言語)やタガログ語(フィリピン系言語)、そして共通語の英語などとなる。注意を促す張り紙にも、ヒンディ語、タイ語などが並んでいる。このような状況だから、今、自分が一体どこの国いるのか、ここは本当にアラブの国なのか、時々分からなくなる時がある。


工事現場で働く出稼ぎ労働者たちの月収はQR500 - 700程度だという。USD1=QR3.64なので、米ドル換算でわずか百数十ドルから二百ドル弱程度となる。日本の建設労働者に比べると明らかにのんびりダラダラと働いているし、以前の職業は農夫であったなど、建設作業経験が浅く、熟練した技能を持っているわけでもない人が多いので、賃金が低くなっていくのはある程度理解出来る。しかし、中東の過酷な暑さという厳しい労働条件や異国という不自由さを考慮すると、はたしてこれが十分な賃金と言えるのだろうか、と日本人の感覚では思えてしまう。だが、例えば比較的多くいるネパール人を例に挙げてみると、自国の国民一人当たりの名目GDP(USドル換算)が約643ドルなので、わずか3-5ヶ月足らずで自国国内で働く人の1年分の収入を稼ぎ出してしまうことになる。だから、厳しかろうが、辛かろうが、とにかく現金を稼ぐために、彼らが仕事を求めて次々と渡航してくる。工事が遅れている現場では、残業も休日出勤もして、少しでも多く稼ごうとする労働者も出てくる。そんな労働者(ワーカー)たちが祖国の家族に国際送金するために利用する両替商が、街には沢山営業している。そして、その国際送金窓口には、大勢の外国人ワーカーたちが列をなして自分の順番が来るのを待っている。

10.23.2011

Every early morning


In the early morning I hear the adhan.
The adhan is the Islamic call to prayer.

早朝、アザーンが聞こえてくる。
アザーンは、イスラム教の礼拝参加への呼びかけである。








4.15.2011

Foot Bath (a Volunteer Activity in Earthquake and Tsunami of Eastern Japan)

「足湯」 東日本大震災でのボランティア活動にて
Foot Bath (a Volunteer Activity in Earthquake and Tsunami of Eastern Japan)



Foot Bath, a Volunteer Activity
「足湯」ボランティアの様子

  東日本大震災の被災地の一つ、宮城県石巻市で行われた被災者支援活動「足湯」に参加してきた。(活動の様子は上の動画にあり)

  この足湯サービスは、日本財団が実施しているROADプロジェクトの1つであり、今回、私もそのボランティア活動に参加させて頂いた。ROADプロジェクトでの足湯サービス活動場所は、宮城県石巻市・七ヶ浜町、岩手県遠野市である。

  一緒に活動したボランティアは総勢20名。今回は、石巻専修大学や石巻高校に開設された避難所内で足湯を行った。

hot water for foot bath
足湯用のお湯を作る

  お湯の入ったたらいに10-15分ほど足をつけてもらい、その間に手や腕にマッサージを施す。マッサージを行いながら、雑談などもする。

foot bath and massage
足湯とマッサージ

  足湯の間の雑談では、地震後に襲ってきた津波と、それに続く火災の恐怖、雪も降る寒さの中で耐えた震災当夜のことを語りながら涙ぐむ方もいらっしゃった。今でも夜に、恐ろしい光景を夢に見て怖い思いをすることもあるのだという。また、震災1ヶ月が過ぎた現在も避難所に留まる方々は、津波と火災で自宅等全ての財産を失った方が多い。「全てを失ってしまった。身一つで逃げてきたんだよ」と語る方には、掛ける言葉もなく、ただただお話しを伺うばかりとなった。もちろん、ほとんど何も語らない方もおり、しかしそれでも、少しはリラックスしてもらえたのであれば、我々ボランティアにとっては、うれしい限りである。
  すでに1ヶ月が過ぎ、プライバシーもない不自由な避難所生活に相当な疲れがたまっているようであった。また、避難所から自宅に戻ってはいるものの、地震と津波被害を受けた家で、不自由な暮らしをしている被災者も相当数いらっしゃると聞いた。

foot bath and massage
足湯とマッサージ

  県や市など地方自治体も被災者救済と復興に向けて頑張っているが、するべき事が多すぎるからか、なかなか思うようには動けないことも多い様子だった。その分を、小回りの効くNGO団体や個人などが補完するかのように動き、炊き出し、室内に入った泥出しなど様々な活動を行っている。


Volunteers (shelter in Ishinomaki Sensyu univ.)
ボランティアたち(石巻専修大学内避難所)

  今回、一緒にボランティア活動した人たちは、お互い初対面であったが、やる気と前向きの気持ちが強く、何事も一生懸命自ら進んで動く人ばかりであり、ちょっと驚いたのであった。これはおそらく、災害復旧に入っているどの団体でも同じなのであろう。

the affected area of Earthquake and Tsunami of Eastern Japan (Ishinomaki city)
東日本大震災での被害の様子(石巻市)

  被害は甚大であり、ガレキの撤去などはなかなか進まず、時間がかかっているのだという。その理由としては、災害の規模が大きすぎるということもあるが、実は、ガレキの下には行方不明者の遺体があることも多く、撤去作業を慎重に行わざるを得ないということもあるのだとか。悲しい話である。

the affected area of Earthquake and Tsunami of Eastern Japan (Ishinomaki city)
東日本大震災での被害の様子(石巻市)

  被災地では、沢山のボランティアが必要となっているが、宿泊場所や食料等をボランティア自身で準備しなくてはならない事が多く、また、日々変化する現地状況が掴めず、躊躇している人も多いだろう。確かに、強い余震や再度の津波も起きている。それによる停電や断水もある。ただ、各地の復旧は進んでおり、スーパーや外食チェーン店では、平時と同様に営業できている店をいくつも見かける。仙台などでは、すでにナイトパック(宿泊)コースもある漫画喫茶が営業しているのだとか。
そもそも、同じ石巻市内でも、津波被害を受けていない地区では、M9.0の巨大地震を受けたとは思えないほど外見が無傷の建物を多数みかける。日本の建物の耐震性能に驚くと共に、津波被害の有無が分けた明暗の強烈な差を見せ付けられた思いがした。

3.04.2011

The Ethiopian cheapest pub "TAJ BED"

The Ethiopian cheapest pub "TAJ BED"
エチオピアの最安レベルパブ「タッジ・ベッド」



ハチミツ酒タッジは、ボトル一本がわずか2ブル(0.12米ドル)。ビールの小瓶が7.5ブル程度なので大変安いことになる。
Honey wine "TAJ" is only 2 Birr (only USD 0.12)  *...Small beer is 7.5 Birr



No sing and looks like a warehouse
タッジベッド。看板等は一切でておらず、外観は倉庫のようにも見える。



inside is also  "warehouse"
店内も倉庫のようで、顔をしかめて「汚い」と言い切るエチオピア人もいる。

2.15.2011

Arabian products in Ethiopia

Ethiopia is an African country but Arabian countries are important partners.
エチオピアの商店には、外国の文字となるアラビア語の踊る商品が多く並んでいる。
エチオピアはアフリカの国であるが、アラブ諸国との交易が盛んであることが分かる。

1.09.2011

How can I visit to another orphan’s home?

How can I visit to another orphan’s home?
どうして、他の孤児院に辿り着けたのか?

次々と助けてもらいながら、なんとか全く知らなかった孤児院に辿り着けていた。
私は、ここアジスアベバの西部のアスコー地区にある、マザーハウスにいた。じゃれついてくる子供を抱え上げて“高い高い”をしていると、後ろから
「子供が好きなんだね」
と声を掛けてくる中年男性がいた。ええ、まあ。といった感じで返事をすると、「君は日本語なまりの英語を話すね。日本人だね。中国語なまりとも、韓国語なまりとも違う。すぐに分かるよ」との答えが返ってきた。
彼は、中曽根政権時代だった1987年に、JICAの研修生として日本に来ていたのだという。幡ヶ谷だ、京王線だ、といった懐かしい日本滞在時代の話や、日本の近況などを、ひとしきり話したあと、「もし子供が好きならば、この孤児院を訪ねるといい」といって、電話番号を書いてくれた。市の東部、コタベ地区にあるのだという。
週が明けた月曜日、これも何かの縁なのでしょうと、その孤児院に電話をかけようと行動を起こした。発展途上国の公衆電話は壊れていることが多いので、こうした場合、小さな商店の店先にある電話を使わせてもらうことがほとんどだ。だが、今ではすっかり携帯電話が普及しているこの国では、いわゆる電話屋さんが姿を消していた。さて困った。電話屋さんがありそうな、バス・タクシー乗り場周辺を歩き回る。だが、全く見当たらない。困ったあげく、一軒の電気店に入って、聞いてみることにした。
この周辺に電話屋はないのか。何故電話したいのか。と言ったことを説明していると、横で聞いていたお客の夫婦が、「その孤児院ならば知っていますよ」と声を掛けてきた。そして、奥さんが、ご自分の携帯電話を私に貸してくれた。こうして、やっと孤児院に電話を掛けることが出来た。だが、最初に電話口に出た人は、あまり英語を理解してくれず、その代わりに電話に出てくれた人も、声が小さく聴き取り難く、また、現地までの交通手段の説明も、どうしても要領を得ない。ずい分と粘ったが、結局あきらめて「残念ですが」と、がっかりしながら電話を切ったのだった。すると、横で聞いていた奥さんが、「その孤児院なら行き方を知っていますよ。しかも、私たちも、その方向へ行くバスに乗るんですよ。よかったらバスまでご一緒しましょう」と、それこそ「地獄に仏」とはこのことか、と思いたくなるような有難い言葉を掛けてくれたのだった。しかも、電話代を払おうとすると固辞して受け取ろうとはしないのだった。なんて良い方たちなのだろう。
ご夫婦と共にバス停へ向かう。「このバスならば、直通で現地まで行きますよ」と、説明してくれ、しかも、同じバスに乗ってくれたのだった。なんと心強いことだろう。バスはしばらく走り、途中のマッカニャーナまで着くと、ご夫婦は降りていった。他の乗客も次々と乗ってきて押し込まれ、ご夫婦とは離れたバス後部に立つことになっていた私は、直接声を掛けて礼を言うことが出来なかったが、車窓から精一杯帽子を振ることで、感謝の意を伝えたのだった。やがて、車掌が後部側にも、運賃を徴収しに廻ってきた。払おうとすると、「さっきの夫婦が、あんたの分も払ってくれたから、いらないよ」とのこと。偶然、商店の店先で出会っただけの見ず知らずの外国人に、どうしてここまで親切にしてくれるのだろう。自分も日本で同じことが出来ているのか、というと、答えは「否」だ。本当に頭の下がる思いをするばかりだ。
バスはコタベに着いた。バスを降りると、あとは、ご夫婦の言ったとおりに道を進み、人に尋ね、またしばらく進むと、その場にいる人に尋ねる。これを何度か繰り返した後、無事に、その孤児院に辿り着くことができた。こうして、次から次へと助けてもらいながら、無事に、未知だった孤児院に辿り着くことが出来た。孤児院に辿り着くことが出来たことそのものも嬉しかったが、エチオピアの優しさに、たくさん触れることが出来たことが、何よりも嬉しい。エチオピアの人の優しさに感激したのだった。
mother house
Mr. & Mrs. kindness
Bus
walk...
walk...

Selam Children's Village
http://www.selamethiopia.org/

1.03.2011

African Happy New Year!

African Happy New Year from Addis Abeba, ETHIOPIA!
Hope you are fine.

a slum in the evening (Addis Abeba, ETHIOPIA)
夕暮れのスラム街で ( エチオピア・アディスアベバ )