4.15.2011

Foot Bath (a Volunteer Activity in Earthquake and Tsunami of Eastern Japan)

「足湯」 東日本大震災でのボランティア活動にて
Foot Bath (a Volunteer Activity in Earthquake and Tsunami of Eastern Japan)



Foot Bath, a Volunteer Activity
「足湯」ボランティアの様子

  東日本大震災の被災地の一つ、宮城県石巻市で行われた被災者支援活動「足湯」に参加してきた。(活動の様子は上の動画にあり)

  この足湯サービスは、日本財団が実施しているROADプロジェクトの1つであり、今回、私もそのボランティア活動に参加させて頂いた。ROADプロジェクトでの足湯サービス活動場所は、宮城県石巻市・七ヶ浜町、岩手県遠野市である。

  一緒に活動したボランティアは総勢20名。今回は、石巻専修大学や石巻高校に開設された避難所内で足湯を行った。

hot water for foot bath
足湯用のお湯を作る

  お湯の入ったたらいに10-15分ほど足をつけてもらい、その間に手や腕にマッサージを施す。マッサージを行いながら、雑談などもする。

foot bath and massage
足湯とマッサージ

  足湯の間の雑談では、地震後に襲ってきた津波と、それに続く火災の恐怖、雪も降る寒さの中で耐えた震災当夜のことを語りながら涙ぐむ方もいらっしゃった。今でも夜に、恐ろしい光景を夢に見て怖い思いをすることもあるのだという。また、震災1ヶ月が過ぎた現在も避難所に留まる方々は、津波と火災で自宅等全ての財産を失った方が多い。「全てを失ってしまった。身一つで逃げてきたんだよ」と語る方には、掛ける言葉もなく、ただただお話しを伺うばかりとなった。もちろん、ほとんど何も語らない方もおり、しかしそれでも、少しはリラックスしてもらえたのであれば、我々ボランティアにとっては、うれしい限りである。
  すでに1ヶ月が過ぎ、プライバシーもない不自由な避難所生活に相当な疲れがたまっているようであった。また、避難所から自宅に戻ってはいるものの、地震と津波被害を受けた家で、不自由な暮らしをしている被災者も相当数いらっしゃると聞いた。

foot bath and massage
足湯とマッサージ

  県や市など地方自治体も被災者救済と復興に向けて頑張っているが、するべき事が多すぎるからか、なかなか思うようには動けないことも多い様子だった。その分を、小回りの効くNGO団体や個人などが補完するかのように動き、炊き出し、室内に入った泥出しなど様々な活動を行っている。


Volunteers (shelter in Ishinomaki Sensyu univ.)
ボランティアたち(石巻専修大学内避難所)

  今回、一緒にボランティア活動した人たちは、お互い初対面であったが、やる気と前向きの気持ちが強く、何事も一生懸命自ら進んで動く人ばかりであり、ちょっと驚いたのであった。これはおそらく、災害復旧に入っているどの団体でも同じなのであろう。

the affected area of Earthquake and Tsunami of Eastern Japan (Ishinomaki city)
東日本大震災での被害の様子(石巻市)

  被害は甚大であり、ガレキの撤去などはなかなか進まず、時間がかかっているのだという。その理由としては、災害の規模が大きすぎるということもあるが、実は、ガレキの下には行方不明者の遺体があることも多く、撤去作業を慎重に行わざるを得ないということもあるのだとか。悲しい話である。

the affected area of Earthquake and Tsunami of Eastern Japan (Ishinomaki city)
東日本大震災での被害の様子(石巻市)

  被災地では、沢山のボランティアが必要となっているが、宿泊場所や食料等をボランティア自身で準備しなくてはならない事が多く、また、日々変化する現地状況が掴めず、躊躇している人も多いだろう。確かに、強い余震や再度の津波も起きている。それによる停電や断水もある。ただ、各地の復旧は進んでおり、スーパーや外食チェーン店では、平時と同様に営業できている店をいくつも見かける。仙台などでは、すでにナイトパック(宿泊)コースもある漫画喫茶が営業しているのだとか。
そもそも、同じ石巻市内でも、津波被害を受けていない地区では、M9.0の巨大地震を受けたとは思えないほど外見が無傷の建物を多数みかける。日本の建物の耐震性能に驚くと共に、津波被害の有無が分けた明暗の強烈な差を見せ付けられた思いがした。

3.04.2011

The Ethiopian cheapest pub "TAJ BED"

The Ethiopian cheapest pub "TAJ BED"
エチオピアの最安レベルパブ「タッジ・ベッド」



ハチミツ酒タッジは、ボトル一本がわずか2ブル(0.12米ドル)。ビールの小瓶が7.5ブル程度なので大変安いことになる。
Honey wine "TAJ" is only 2 Birr (only USD 0.12)  *...Small beer is 7.5 Birr



No sing and looks like a warehouse
タッジベッド。看板等は一切でておらず、外観は倉庫のようにも見える。



inside is also  "warehouse"
店内も倉庫のようで、顔をしかめて「汚い」と言い切るエチオピア人もいる。

2.15.2011

Arabian products in Ethiopia

Ethiopia is an African country but Arabian countries are important partners.
エチオピアの商店には、外国の文字となるアラビア語の踊る商品が多く並んでいる。
エチオピアはアフリカの国であるが、アラブ諸国との交易が盛んであることが分かる。

1.09.2011

How can I visit to another orphan’s home?

How can I visit to another orphan’s home?
どうして、他の孤児院に辿り着けたのか?

次々と助けてもらいながら、なんとか全く知らなかった孤児院に辿り着けていた。
私は、ここアジスアベバの西部のアスコー地区にある、マザーハウスにいた。じゃれついてくる子供を抱え上げて“高い高い”をしていると、後ろから
「子供が好きなんだね」
と声を掛けてくる中年男性がいた。ええ、まあ。といった感じで返事をすると、「君は日本語なまりの英語を話すね。日本人だね。中国語なまりとも、韓国語なまりとも違う。すぐに分かるよ」との答えが返ってきた。
彼は、中曽根政権時代だった1987年に、JICAの研修生として日本に来ていたのだという。幡ヶ谷だ、京王線だ、といった懐かしい日本滞在時代の話や、日本の近況などを、ひとしきり話したあと、「もし子供が好きならば、この孤児院を訪ねるといい」といって、電話番号を書いてくれた。市の東部、コタベ地区にあるのだという。
週が明けた月曜日、これも何かの縁なのでしょうと、その孤児院に電話をかけようと行動を起こした。発展途上国の公衆電話は壊れていることが多いので、こうした場合、小さな商店の店先にある電話を使わせてもらうことがほとんどだ。だが、今ではすっかり携帯電話が普及しているこの国では、いわゆる電話屋さんが姿を消していた。さて困った。電話屋さんがありそうな、バス・タクシー乗り場周辺を歩き回る。だが、全く見当たらない。困ったあげく、一軒の電気店に入って、聞いてみることにした。
この周辺に電話屋はないのか。何故電話したいのか。と言ったことを説明していると、横で聞いていたお客の夫婦が、「その孤児院ならば知っていますよ」と声を掛けてきた。そして、奥さんが、ご自分の携帯電話を私に貸してくれた。こうして、やっと孤児院に電話を掛けることが出来た。だが、最初に電話口に出た人は、あまり英語を理解してくれず、その代わりに電話に出てくれた人も、声が小さく聴き取り難く、また、現地までの交通手段の説明も、どうしても要領を得ない。ずい分と粘ったが、結局あきらめて「残念ですが」と、がっかりしながら電話を切ったのだった。すると、横で聞いていた奥さんが、「その孤児院なら行き方を知っていますよ。しかも、私たちも、その方向へ行くバスに乗るんですよ。よかったらバスまでご一緒しましょう」と、それこそ「地獄に仏」とはこのことか、と思いたくなるような有難い言葉を掛けてくれたのだった。しかも、電話代を払おうとすると固辞して受け取ろうとはしないのだった。なんて良い方たちなのだろう。
ご夫婦と共にバス停へ向かう。「このバスならば、直通で現地まで行きますよ」と、説明してくれ、しかも、同じバスに乗ってくれたのだった。なんと心強いことだろう。バスはしばらく走り、途中のマッカニャーナまで着くと、ご夫婦は降りていった。他の乗客も次々と乗ってきて押し込まれ、ご夫婦とは離れたバス後部に立つことになっていた私は、直接声を掛けて礼を言うことが出来なかったが、車窓から精一杯帽子を振ることで、感謝の意を伝えたのだった。やがて、車掌が後部側にも、運賃を徴収しに廻ってきた。払おうとすると、「さっきの夫婦が、あんたの分も払ってくれたから、いらないよ」とのこと。偶然、商店の店先で出会っただけの見ず知らずの外国人に、どうしてここまで親切にしてくれるのだろう。自分も日本で同じことが出来ているのか、というと、答えは「否」だ。本当に頭の下がる思いをするばかりだ。
バスはコタベに着いた。バスを降りると、あとは、ご夫婦の言ったとおりに道を進み、人に尋ね、またしばらく進むと、その場にいる人に尋ねる。これを何度か繰り返した後、無事に、その孤児院に辿り着くことができた。こうして、次から次へと助けてもらいながら、無事に、未知だった孤児院に辿り着くことが出来た。孤児院に辿り着くことが出来たことそのものも嬉しかったが、エチオピアの優しさに、たくさん触れることが出来たことが、何よりも嬉しい。エチオピアの人の優しさに感激したのだった。
mother house
Mr. & Mrs. kindness
Bus
walk...
walk...

Selam Children's Village
http://www.selamethiopia.org/

1.03.2011

African Happy New Year!

African Happy New Year from Addis Abeba, ETHIOPIA!
Hope you are fine.

a slum in the evening (Addis Abeba, ETHIOPIA)
夕暮れのスラム街で ( エチオピア・アディスアベバ )


12.28.2010

Mother's Heart

菊本さんは、みんなにとってお母さんなんだなあ、と思った。

ナイロビの中心部からバスで40分ほど、ナイロビ市との県境にあるマトマイニ・チルドレンズホームhttp://www.geocities.jp/scckenya/を訪ねた。この孤児院は、菊本さんという日本人が、23年の長きにわたり奮闘・運営されている草の根NGOである
ここでは、かつて路上生活をしていた子供など二十人ほどが暮らしている。不遇であった子供たちは、マトマイニでしっかりとした生活と教育を受ける機会を得ることにより、本来の持っていた能力を発揮することが出来、中には、国立大学に進学した子もいる。路上暮らしであった子供に、高い能力が秘められていたということである。また、ここを巣立った子供たちは、技能を身につけ、一人前となり、それぞれがしっかりと働き、生活しているとのこと。これらは、チャンスを得ることが出来たのならば、誰もが羽ばたき、空高く舞い上がることが出来るということなのだろう。
また、スラムに住むシングルマザーたちなどに職業訓練を行うと共に工房を開き、工芸品を作っている。今、ここで作る動物のフェルト人形(下部の画像を参照)が大ヒットして売れており、製作が注文に追いつかないほどだという。製作に当たる女性たちは、頑張ることによって、頑張りに見合った収入を得ることが出来、それにより生活は安定する。そしてさらに、女性たち自らの提案でデザインしたカラフルな色あいのキリンなどが、特に人気を呼んでいるそうだ。社会で弱い立場に追いやられがちな女性たちでも自ら考え、行動できる。受け身の、誰かの指示待ちだけではない生き方が出来る力があるということだ。
これらのほか、ナイロビの日本食レストランに卸す日本野菜を作ったり、ゼロエミッション、エコロジーを目指し、バイオガス利用など、様々なことも行っている。

ただ、ここまでに来るまでには、試行錯誤の連続だったとのこと。職業訓練の末に作れるようになった織物や陶器なども、決して悪くない物なのに思ったように売れない。フェルト人形は、やっと出た売れる工芸品なのだとのこと。また、孤児の引き取りについても、ケニアは法治国家なので、当然法律に基づく必要があり、それに伴い、ケニアの役人も関わってくるのだが、発展途上国ではよくある汚職がからんできて、彼ら役人の心無い行いにより、本来救われるべき不遇なストリートチルドレンが救えないこともあるという。今回、マトマイニが直面する困難の、ほんの一端を聞いたに過ぎないが、一個人ではどうにもならない問題もあり、その悩みの深さは、説明してくれる菊本さんの曇った表情からも伺えた。子供たちとも話しをしたが、常に無邪気に笑うわけではない。希望の職業を聞いたつもりだった「将来は何になりたいの?」との質問に対して、暗く遠くを見るような眼で答えたジョンの、「良いお父さんになりたい」に、彼が受けてきた悲しい過去を垣間見たようで、言葉を失った。ただ、明日からマトマイニのみんなでキャンプだよね?と聞いた時に見せてくれた、ジョンの心底うれしそうな笑顔には、こちらが救われた気がした。どうか明るい未来へと歩んでいって欲しいと思った。

アフリカの地で、日本人の個人が運営するNGOは、本当に大変なことの連続であることが容易に推察できる。ボランティア等に対する文化の違いもあり、欧米のNGOやボランティアのように、寄付も含めた組織として、安定したシステムが築き難く、支援者はいるものの、菊本さんの双肩に掛かる重さは相当なものだろう。
何故、この大変な活動を続けているのですか?と質問してみた。
「(ケニアの普通の)みんなの中にいたいと思ったから」
という答えが返ってきた。飾り気のない、心の底から出てきているであろう言葉に、菊本さんの、このマトマイニの温かさを見た気がした。人と人との触れ合いの中にあるべきとの考えなのだろう。菊本さんは、皆から「お母さん」と呼ばれているとのことだが、本当にお母さんの心を持つ人なんだと思った。根気よく子供たちや女性たちに向き合う姿勢は、我が子に対する母親の姿そのものだ。つまづいても、問題を起こしても、見捨てずに向き合う。菊本さんの眼から感じるものは、母親が持つ、成長していく者に対する温かい視線だと感じた。
今回の訪問で、NGO活動の根本にある温かさを見た。今後も大変なことがあるであろうけども、菊本さん、マトマイニのスタッフ、子供たち、女性たちに、暖かな陽射しが降り注ぐ毎日となることを心の底から祈りたいと思う。そして、恵まれない人たちに対して愛情を持って接し続けている菊本さんに、最大の敬意を表したい。

SAVE THE CHILDREN CENTRE(SCC) (マトマイニ チルドレンズホーム)
1984年設立のケニアに本部を置き、ケニアで活動している草の根NGO。養護施設マトマイニチルドレンズホームを運営し、孤児やストリートチルドレン、貧しいスラムの住民達を対象に数々の自立支援活動をしている。

※本日のブログの作成にあたって、SCCのホームページや会報も参考にさせて頂きました








子供たち、支援者の方、菊本さん